2024/12/05 11:30

“人は考える葦である”
どっかの哲学者が言っていた。
自然の中では弱っちい存在だけど、「考える力」で何とかしてきた偉大な生き物である、といった感じ。
他にも思考力を持った生き物はたくさんいるはずだけど、
身体的構造と圧倒的な思考による脳の発達、またそれによる身体機能の向上により地球上で一番影響力を持つ生き物となったんだろう。
頭でっかちになってしまった今、僕は「感じる力(の回復)」を求めているけど、
意識しすぎて、割と考える事を放棄しがちになってしまう。
なんと表現すればよいか、
「感覚の罠にハマる」
といったところか。
直感に頼ろう(信じよう)として、本来冷静に頭で判断すべき(出来る)ことを、無理やり感覚的にやろうとする。
すると、やはり失敗する。
社会に後れを取ったり、外れたりもする。
スピリチュアルに傾き過ぎて、地に足が付いていない状態。
これ、極端なことをやろうとして最初に結構やっちゃうやつだと思う。
なんにしてもバランス。
感覚を重視しても無理なく行えば、本来自然と社会とマッチするもの。
上手くいく。
「考える力(思考)」と「感覚の力(直感)」
どちらも大事。
この二面性・二極化の真ん中に自分を持ってくる、自分を置く、ことを常にしたい。
リスクは大きいけど、
この二極化の振り幅が大きければ大きいほど、人としての器も大きくなる。
大きな器の真ん中に自分がいられるようになれば、それはもう大したもんだ。