2025/04/18 11:30

「達観」はつまらない
なんでこんな事を書くのか
本当の意味での「達観」は素晴らしいと思う。
意味としては
① 全体の情勢を広く見わたすこと。 また、遠い将来の情勢まで見とおすこと
② 細部にとらわれないで、物事の真理を見とおすこと
③物事にとらわれないで、喜怒哀楽を超越すること
真に「達観」した人は
日々の些細なことに動じず冷静で安定した心を持つ
そして、他人との比較を手放し
感情に振り回されることなく、物事の本質を見抜いている
きっと誰もがそうでありたいと願うと思う
冒頭に書いた「達観はつまらない」は
僕も含め、「達観している気」になってしまった人の場合
残念ながら今の世の中、そんな人の方が多い
“そんなことはわかっている”
この気持ちが「やる意味なし」と判断して
何も動かない
まるで全てを悟ったかのように
何もしないから何の反応もない
何の体感も感動もない
つまらない
相手もつまらないし
自分でもつまらない
ただの達観マウントに陥る
真に「達観」した人は
わかっているからこそ一周回って
俗世を楽しむ
3次元の世界における楽しみ方
“喜怒哀楽” を存分に味わう事を楽しめるんだ
「喜」や「楽」だけを求めない
先を見透せても
そこに行くまでの過程(喜びや苦難)を最大限に楽しんでいる
達観している人ほど動く、試す
自分の解釈との答え合わせを楽しむかのように
少しずつ少しずつ
僕は、そんな生き方を身体に馴染ませていくつもり