2025/04/22 11:30


自分の価値観と乖離が過ぎる状況が

自らに及んだとき


「憤り」が起こる。


そして、そのことに対して

自分の “本当の気持ち” と違う決断・対応をしてしまったとき


その「憤り」がずっと残る。


その時自分の身が置かれた状況・事態により

たとえそう決断せざるを得なかったとしても

納得できることではない。


自分の心は騙せない


だから、憤る


溜め込んではよくない、と身体が感じている

何かで発散させないと。


最近、僕自身が端を発し

その後、自らに降りかかった出来事で「憤り」を感じた。

だから、書く。


“書く”という表現は、発散になっただろうか。